ところがあり、再び新しくブログ記事とさせていただきます。
前回ブログ記事:ブログのコメントについて
前回ブログ記事の最後で、合気道SAについて少々補足しています。
この件について、大勢の人の誤解を招いてはいけませんので、
再補足です。SAなど格闘技に回帰した流派は開祖の合気道から
外れているとは思いますが、かと言って、従来の合気道よりも
劣っているとは思っておりません。
また、格闘技そのものが、野蛮で下劣なものとも思いません。
最初は他人を殺すための技術でした。そして多くの人の犠牲が
あり、罪深き業(ごう)の上に成り立っている部分はあります。
本当に戦闘の手段として有効な技術か、どうか試すこと・研究する
事も、あってしかるべきでしょう。先人達から受け継いできた技術
のひとつです。日本ではサムライが柔術や剣術という形で、無駄な
殺傷を回避するように進化させてきたのものです。
世の中から犯罪やテロが無くならない限り、格闘技や護身術等
何らかの戦闘技術は必要です。しかし、即効性の高い格闘技術
ほど相手に与えるダメージが大きいため、過剰防衛に繋がる可能性
があります。☆一番手っ取り早いのは、爆弾や銃などの飛び道具の
使用ですけどね。でも、そんなもの使ったら確実に人を殺します。
世界規模・地球規模ですと、原子爆弾( ̄口 ̄;
護身や逮捕が過剰防衛にならないようにすることは、難しい
ことです。この点につきましては、さらに思うところがあり、
機会をみて、今後の記事に記したいと考えております。
開祖から塩田剛三先生へ引き継がれた合気道(養神館合気道)を、
再び格闘技として再編纂した流派が合気道SAや覇天会です。
格闘技性を封印して、精神性を求めた開祖の合気道に対し、
格闘技として見直しを図る人物が出てきても、おかしくないと思います。
守離破・・・または、守破離・・・。
武道も宗教も、分派・改宗が起きます。
万物が変化・流転する様な現象の一つではないでしょうか?
関連ブログ記事:
守・離・破!
万物は流転する 〜 脱力は進化(退化)なり
ただ、開祖の考えに沿った合気道を行う場合、格闘する時点で、
敗北です。開祖の創始した合気道ではなくなると思うのです。
ネットの掲示板で、「合気道は使えない」とか「弱い武道」などと
揶揄されることが多いですが、上記のような捉え方の違いが
理解できていない為に起こる誤解だと思います。
格闘技として練磨するなら、やはり型稽古だけでは不足だろうと
思います。型と組手(乱捕り)が揃って、初めて車の両輪の如く、
格闘技として成り立つのだと考えます。
関連ブログ記事:型稽古と乱捕稽古の比較(利点や欠点)
本来の合気道と、試合や乱捕り(組手)を取り入れた合気道流派との
違いは、開祖が提唱する合気道の精神性を取るか、実戦で有効性の
高い武術・格闘技を追求するか?といったところではないでしょうか?
みなさんは、どう思われますか?
読んでいただき、ありがとうございます。
合気道ブログで日々の稽古を考える。
紹介:札幌で合気道するときは・・・札幌合気道会について