私から『少林寺拳法は、当身技が剛法として編纂されていることから
合気道より実戦的かも知れませんね』と返答しました。この内容が
皆様に誤解を与えているかも知れませんので今回記事を記しました。
結論から。
Q1.合気道は実戦で使えないのか?
A1.@合気道を使う者のレベルによる。
Aそもそも、戦ってはいけない。格闘技ではない。
合気道は相手と調和・和合するための武道である。
Q2.合気道は、なぜ試合を行わない?
A2.@勝敗に拘ると正しい理合いが身に付かないから。
Aそもそも、戦ってはいけない。格闘技ではない。
合気道は相手と調和・和合するための武道である。
【A1-@について】
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1.合気道を使う人のレベルによります。
植芝盛平合気道開祖や塩田剛三先生のような達人であれば、
他の格闘技や武道・武術のプロと渡り合えるレベルだと言えます。
2.実戦で使えるようになるまでは他武道や格闘技より時間がかかる。
空手の方が合気道よりも、実戦レベルに達するのが早いです。
合気道ですと、人によっては10年かかっても実戦レベルに達する
ことが難しいかも知れません。そもそも稽古の目的が、健康のため
という人も居るでしょうから。合気道の稽古目的でも変わる。
例:単純に段で比較するのも正確さに欠けますが・・・
平均的に、合気道初段と空手初段で比較すると、空手初段の方が
圧倒的に実戦レベルに近いと言えるでしょう。
しかし、同じ段でも、やはりその人個人のレベルによると思います。
3.実戦レベルに達するのが早い(即効性が高い)武道ほど相手に怪我
を負わせる確率が高いと言える。即効性と安全性は反比例する。
相手に怪我を負わせる確率で言えば、合気道技の方が安全である
とも言えます※。しかし更に反面、怪我を負わせずに相手を制する
のは、難易度が高いです(要求される技術レベルが高い)。
※合気道でも素人相手に手加減なしに投げると、怪我させる可能性
はあります。難易度が高い合気道であるからこそ即効性は低い。
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※A1-AはA2-Aと全く同じなので、まとめて最後に記します。
【A2-@について】
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試合や乱捕りを行うと、勝敗に拘る為、正しい理合いの習得に妨げが
生じます。体捌きで投げるのではなく、力に頼った技に成る恐れが
あります。
関連ブログ記事:型稽古と乱捕稽古の比較(利点や欠点)
柔道も、最初は柔術の理合いを誰もが気軽に習得できるようにと、
スポーツ化・競技化した訳ですが、開祖嘉納冶五郎の理想と反して、
実際には体格が大きく力のある方が有利な武道に成っています。
小さい者でも、大きい者の力を利用し、技術で力を制することが
合気道を始めとする柔術系武道・武術の究極の理想です。
※合気道は関節技で投げる事が多く、乱捕り化・競技化すると危険な
状況が考えられますが、そのような点を改善・考慮した武道が柔道
です。合気道を改善したのが柔道という意味ではありません。
柔術の投げ(関節)技をそのまま試合や乱捕りで行うのは、危険性
が高くなるという意味合いです。
柔道より合気道の方が競技化は難しいのは上記理由からです。
柔術から合気道や柔道が生まれ、別々の道を辿って来ました。
後に試合や乱捕りを行う合気道として、富木合気道、合気道SA、
フルコンタクト合気道などが創始されましたけどね。
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【A1-A 及び A2-A について】
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相手を敵とせず、相手を自分の味方にしてしまうこと。調和や和合が
合気道の理念です。開祖は『真の武は愛なり』、養神館合気道創始者
塩田剛三先生は『合気道で最も強い技は殺しに来た相手と友達に
なることさ』という名言を残しています。相手を受け入れ相手と自分が
一つになることを『全てを愛し敵とせず争わない心を持つことが、宇宙
と調和することを意味する』と表現しています。
関連ブログ記事:
合気道には、格闘技に回帰した流派もある
格闘技から愛の武道へ
また、勝敗を決めると勝った者は気分が良いけど、負けた者は、負の
感情を抱くことになり、これも和合の理念に反することになります。
『勝敗に拘らない』のも、合気道の考え方のひとつです。
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記事の最初にある『合気道より実戦的かも知れませんね』と返答した
事につきましては、『合気道よりも少林寺拳法の方が実戦ですぐに
使いやすい武道ですね』という意味です。即効性が高いという意味
です。また合気道は精神修養性が高いというのもA2-Aが理由です。
ネット上では合気道を「弱い武道」、「使えない武道」とか「踊り」とか
揶揄されることが多いです。そのように言う人達は、合気道とは
どういうものか、理解できていないから誤解しているのだと思います。
もし道場に見学に来られた方で、『合気道を稽古すると強くなれます
か?』という旨の質問をされたら、私ならばこう答えるでしょう。
『喧嘩や格闘技として強くなりたいのでしたら、空手やボクシング等の
方が早く強くなれますよ』と。加えて『精神的に強くなりたいのでしたら
合気道でも強くなれるでしょう』と言うでしょう。
『なれるでしょう』は、その人の心掛けや、稽古の考え方次第だから。
格闘技として即効的な強さを求めるならば、他の武道をお勧めします。
過去に、我が道場へ入会した後に、上記のような質問をされた方が
おりました。予想通り、いつの間にか来なくなりました。
『合気道は格闘技ではありません』の旨、話したからかも知れません。
稽古する武道、同じ合気道でも流派、それぞれ考え方も異なります。
自分が求める目的に合った武道・流派・会派、自分に合った道場や
先生を見つけて稽古するのが理想的です。
読んでいただき、ありがとうございます。
合気道ブログで日々の稽古を考える。
紹介:札幌で合気道するときは・・・札幌合気道会について
【武道・合気道_考察の最新記事】
合気道においての理合いとか相手と調和・和合とかなかなか実践、理解できない言葉ですね
私の合気道をやり始めた理由は
合気道は実戦で使えるのか、というのに近い理由だったんですが
今でもよく分かりませんし、もうどうでもいいように最近では思ってます
合気道は難しい、というのが私の思いです。
練習で、力で捌こうとしたり流れに乗れない捌きをする自分に下手だなぁと痛感してます
トールさん、こんにちは。お久しぶりですね。
コメントありがとうございます。
私は合気道を始める前、相手を関節技で痛めて
懲らしめてやる武道などと、勝手に思っていました(汗
今思うと、物凄くイターイ勘違いでした。 f^_^);
私も実戦とか正直どうでもいいです。
一生に一度使うか使わないかの頻度の機会に
護身術として身を護れる程度に習得できればな
くらいに思っています。
ところが、合気道を知らない人は、
武道 ≒ 格闘技(合気道も格闘技の一種)と捉える人が
多いですし、実戦で(格闘技として)どのくらい効用があるの?
といった疑問が出るのは、無理も無い話かも知れません。
合気道も元々は柔術という格闘技であったわけですから。
そんなわけで、当ブログでも、今回このテーマについて
ちょっとだけ考察してみた次第です。
元格闘技の合気道が、宗教(大本)の影響を受けて
戦わないための(平和を求める)武道に変化した・・・というのも
考えてみれば不思議な話です。対極的な変化ですから。
理合い、調和・和合は、生涯学習でしょうか。難しい・・・(>_<;)
こんにちは。私もいろいろ悩んで試合形式の武道に興味をもったことがあります。
多様な考え方があると思いますが、私の持論というか砂泊氏の受け売りですが
「相手と比べて強いかどうか?ではなくて、自分の理想の状態が山の頂だとすると、今何合目まで登ったのか?」
を意識しています。
郭 海皇さん、はじめまして。コメントありがとうございます。
万生館合気道を創始された砂泊先生の元で、
合気道を稽古をされていたのでしょうか。
>今何合目まで登ったのか?
なるほど。他人と比較するするのではなく、過去の自分との比較、
自分自身の目標設定ですね。
過去〜現在〜未来、自分がどう変わっていったか。
他人と戦うのではなく、自分自身との戦い・・・
まさに合気道らしい考え方だと思います。
登山に例えた分かりやすい例、ありがとうございます。
時々、訪問にいらしてくださいね。
もしかして私のことでしょうか?
少林寺拳法もやってますが、少林寺拳法も試合をしない武道です。試合がないから、型だけだからと合気道を蔑むつもりは毛頭ありません。
ただ、
仲の良い物同士が和気あいあいと練習するので、どうしても攻撃が甘くなるのは、合気道も少林寺も同様に抱えている問題だと思っています。先のコメントでいいたかったのはそのことです。
ましてや合気道は攻撃方法の練習に時間をさかない分、更に攻撃がゆるいです
まあ、少林寺でも剛法の攻撃は練習しますが、柔法の攻撃は「こんな感じで攻撃してください」。背負投の対処法を練習するのに、柔道知ってる奴がいなくて、空想的背負投対処法になってしまっています。昔は柔道剣道空手高段者が少林寺でも合気道でもごろごろしてたのでしょうけどね。いまやそんなひとは少数…。攻撃が甘くてなあなあの防御方法の練習になってます。
正確で強めの攻撃を避ける事ができないのに、さらにその手をとって投げるなど、できるはずがないとおもってしまうんですよね。
正確な攻撃をしてくれないと練習になりません。
この点を改善するだけで、武道としてもう少し練習にはりがでてくるように思います。
本当は少林寺や合気道などの柔術系の武道一本に絞りたいんですが、今は柔道メインになってます…。
nhanさん、こちらの記事にもコメントありがとうございます。
はい、nhanさんのことです。
題材にさせて頂いて、ごめんなさい。f^_^);
今は、柔道を稽古されているのですね。
少林寺拳法も組手試合が無いことは知っておりました。
ただ、型競技は行いますよね。
そういう意味では、競技そのものをしない合気道は、
少林寺拳法よりも更に特殊な武道だと思います。
攻撃があまい件、『ガッツリ強く打って来ない』という意味ではなく、
『正確に打って来ない』と言う意味でしたら、同感です。
稽古目的が何にせよ、正確な当身があって、正確な投げ技が
繰り出されるのが合気道です。
武道の稽古なのだから真剣さは必要ですよね。
やはり、女性相手にガッツリ強く打つことは、できない(汗)。
ただ、正確に真剣に打つことは必要。真剣さが不足していては、
相手に失礼です。
ガッツリ打つのと、正確に打つのを混同しかけておりました。
合気道の実戦性についてのネット上での多くのコメントに辟易していたのですが、このコメントには共感します。この法治国家の日本で、「実戦的」と称される武道をやればやるほど実戦では使えないし、良識ある人なら使わないと思うのです。喧嘩が強くなっても、喧嘩した時点で社会的には終わりです。それよりも、危険な所には近づかない、そのような状況をつくり出さない、危険が不可避ならばその場をすばやく逃げる、というのが最強の護身術です。いかにプロの格闘家でもナイフを振り回す素人を自ら進んで制圧しようとする人はいないでしょう。ボディガードや警察でないかぎり・・・想定される唯一の実戦とは、知人同士の素人喧嘩です。合気道が使えるのはこのときで、相手を傷つけずにその場を納めればよいのです。
武道をする人には、「実戦」という幻想をもたせないことが大切だと思います。でないと犯罪予備軍の育成に手を貸すことになります。普通の社会生活を送るかぎり、実戦とは無縁です。かりに殴られても、やり返さず、法的または社会的に制裁を加えたほうが何十倍ものダメージを相手に加えることができます。しかし、このようなやったやられたという状況をつくり出さないこと、これが合気道を学ぶ一番重要なことだと思っているのです。そのための心技体の向上だと思うのです。
「実戦で相手を倒す」ということをイメージして技術を研鑽することは否定しませんが、それは「実戦」では使ってはいけないのです。「実戦」で「使える技」ほど実戦では「使えない」という逆説が成立します。残念ながら、実戦性を求めて中途半端に格闘技をやっている人ほどとても好戦的で、喧嘩が絶えないように感じています。悲しい現実ですね。かれらは格闘技をする以前の問題として、歪んだプライドや社会観(たとえば、仲間以外は全員敵だという考え)、好戦的な性格を矯正することこそが必要だと思います。しかし、技術重視の実戦的格闘技にはなかなかそのようなことは期待できないのではないでしょうか。
反実戦屋さん、はじめまして。貴重なコメントありがとうございます。
仰る通り同感です。まずは、危険な状況(犯罪や喧嘩)に遭遇しないこと。次は逃げることですね。恋人や家族が危険な目に遭った場合、やむを得ずということは考えられますが・・・。積極的に実戦を考える事は不要です。しかし、実戦を想定した稽古・研鑽は(やむを得ず)必要と考えます。ただし「極力相手を傷つけずに」という条件付きになると思います。この「相手を傷つけずに」というのが究極に困難です。
暴力の脅威から身を護る、もしくは犯罪を防止するという意味では、格闘技や武道・武術は現代社会においても必要です。最も必要なのは警察、他には自衛隊や海上保安庁のような国家の治安や安全を守る立場の人達でしょう。でも、この人達も同じ人間です。一歩間違えると過剰防衛に繋がります。そうならないような教育を受けているとは思いますが・・・。
地球レベルでも、アメリカのような国際警察的立場の国家?が存在しないと、イスラム国(過激派が勝手に建国)等が世界の治安を脅かします。アメリカも過剰防衛(核の使用等)を行わないようにしなければなりません。
個人レベルから地球レベルに話が飛躍してしまいましたが、犯罪・テロ・戦争が起こる限り、護身術は必要でしょう。これらが無くなることが理想ですけどね。我欲や好戦的考えが無くならない限り、上記が無くなる確率は限りなく0ではないでしょうか?
合気道だけを実戦で使うことが難しいのは、開祖が危険な部分を封印したからだと考えられます。当身7分投げ3分と言われるように、元来の合気道は、ほとんど当身で相手を制する武術であったようです。「合気道」と名前を付けた頃には、危険な技を封印して、当身も形ばかりになってしまいました。古武道の世界では「門外不出」や「秘伝」と言って、危険な技は、身内の本当に信用できる者しか伝授しませんでした。頷ける話です。
余談ですが、岩間流合気道に伝わる大本由来の瞑想法も最初は、使い方を間違えれば、悪霊を呼び寄せてしまうものだったそうです。開祖が封印して安全な瞑想法へ変え、弟子達へ伝授されたようです。我々後世の為に危険な術を改変・封印したからこそ、安全な稽古ができるということですね。開祖をはじめ武術・武道の先人達に感謝です。
合気マスター様
コメントありがとうございます。合気道の実戦で使えるか、という話題で必ず出るのが、空手家やキックボクシングの使い手に対応できるか、といった類のものが多いので違和感があったのです。ヒョードルに本気で攻められて捌ける格闘家がいるでしょうか?ヒョードルにしても、自分と同クラスの人間に複数で襲われたらアウトでしょう。対格闘家相手の戦いというのは、日本の普通の暮らしのなかでは無縁だと思うのです。おっしゃるように治安の悪い外国なら別です。でも、そのような場所に住んでも、危険な場所、時間帯を避ければ、危険はかなりの確度で避けられます。下手に護身術で対応しようとすれば命を落とす危険性があります。海外なら相手は一人ではなく、複数が束になって、しかもナイフなどをもって脅してきます。二メートルを超える外国人数人に囲まれて、戦うのは愚かなことです。だから、実戦で格闘技を使うことは非常に危険だと思います。ただ、技術を磨くのは構わないのですが・・・・
開祖が安全にされたのは正解だと思います。本当に危険な場所なら格闘技は役に立たない(相手が複数でナイフ所持)し、日本なら過剰防衛になり、実戦をした時点でアウトです。戦後の混乱期ならばまだしも、いまは格闘技は実戦性を求める時代ではないと思いますね(警察などの特殊な仕事は除きます)。こういってしまうとロマンはないのかもしれないし、実戦性を標榜しないと集客効果がないという現状が大きいのかもしれません。本当に危険な技は、おっしゃるように、人格的に優れた人以外には教えるべきではないと思います。
でも、こういっておきながら、私にもロマン志向があって、「当身7分」の合気道を習ってみたいなあ、という気はしています。
反実戦屋さん、再びありがとうございます。
総合格闘家のヒョードル、強いですね。
プロの格闘家だって、背後から拳銃で撃たれたら終わりです。プロレスラーの力道山も、背後から刺されて死亡しました。どんなに強い格闘家だって、素人に殺されることがあります。
最初は人殺しの技術であった格闘技から、命の大切さを学ぶために武道というものが生まれたのではないでしょうか?
合気道だけに限らず、空手道もボクシングも総合格闘技等も、そのようであってほしいと思います。